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ブロブロスキーのブログ

スキーと釣りが趣味の院卒の30代オッサンのブログ。気まま、手軽、あるがまま

デブ思春期を過ごした人は痩せる前にデブである自分を愛することが大事

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私は中学で野球部に入ってしばらくするまで、いわゆる「デブ」でした。過去にも書きましたが、物心ついた時にはすでにデブでした。だから別に積極的にデブを選んでなどいません。

 

後から考えると、見事なまでに体型であらゆることを馬鹿にされる、からかわれる典型的な「デブキャラ」だったでしょう。そいつが小学校時代に引越し転校をしまくったのだから、何が起きたかはもう察して余りあると思います。

 

そんな私ですが中学の野球部では、身長の大きさと、転校続きの小学生時代の過酷な境遇を生き抜くために「ドッジボール」で鍛えた「肩の強さ」に目をつけられ、1年の3学期前に少年野球未経験者としては異例の抜擢で「投手」というポジションになります。

 

当時、小学校では転校生はドッジボール(高学年くらいではサッカーだったかも)のうまさで序列を決められるという雰囲気がありましたから、ドッジボールを懸命に練習していたのです。

 

しかしそれもドッジボールのチーム決め(ボス猿2匹が一人ずつ選んでいくシステム)で最初の方に選ばれる事以外、あまり効果はなかったですけど。

 

かくして私はしばらく「速球派ノーコン投手」となりました。以下、誰も覚えていないと思いますが、特定を防ぐためにちょっと脚色は入っています。

目次

 

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ひたすら走り込んだら痩せたけど

 

ノーコン投手に対する偏見、「走りこめばコントロールが良くなる」に完璧に支配されていた顧問にひたすら走り込みをさせられ、自主トレと合わせて反吐を吐きながら雨の日も雪の日も少なくて10~15kmくらいは走っていました。中1デブには明らかにオーバーワークですが、投手に抜擢されてからものの4か月ほどで私はデブを脱出することになります。

 

こうして私は「デブ」と「非デブ」の思春期を両方過ごしたのですが、致命的だったことがあります。先に「デブ」をやってしまい、諸々の事情によって著しく自己肯定感を失っており、好意など受け付けられないヤマアラシのような心になっていたことです。

 

壁当てでエースになる

 

痩せていく私を見て両親は喜びました。デブだった私は醜かったと言わんばかりに。この時には既に私は愛される資格などないという確信めいたものを持っていましたから、ただその喜ぶ姿の気味が悪かった記憶しかありません。

 

太っていた時、食べる姿を罵られた記憶なんかも呼び起こしました。これもまた、私そのものが愛されてはいけないという自らの確信を強める材料になりました。

 

私は走り込みに耐えられるようになってきた後、部活の練習後に野球教則本を読み漁ってひたすら孤独に壁当てをしてコントロールを改善することに成功、漫画みたいですが2年生のはじめにして超弱小野球部の「エース」に成長しました。

 

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モテだした

 

2年生になった私。ここで信じられない事態が起きます。「モテる」というのを体験したのです。ただし、小学校から同じだった同学年の友人や女子のあいだでは、相変わらず私は雑魚キャラ。取るに足らない存在でした。

 

そいつらと混ざっている、別の小学校から来たやつらも同様です。彼らがマウンティングをやめる気配はなし。私の自己肯定感を食って大きくなる蛆虫と、食われる腐肉としての私。野球部のエースになっても、この構図は大きくは変わりませんでした。

 

では、誰にモテたのか。それはデブの私を知らない後輩の女の子たちでした。今になってみればこんなに奇跡みたいな話はないのですが、野球部の後輩に手招きされていってみたら後輩女子に囲まれていて真ん中にいる子に告白されたり、後輩が連れ立って友達と二人一緒に告白しに来たりする(その連れ立ってくる目的は何なんだよって思いますけど)といったようなことがありました。

 

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全部拒否した

 

でも私はこれをすべて拒否します。1度だけあった匿名の呼び出しの手紙も、無視です。私は小学校のころから片思いをしていたのです。デブの私を知っている、小学6年からの同級生の一人に。

 

私は愛されることへの恐怖から、「伝えることもできない片思い」に酔いしれ、そこに居心地の良さすら感じていました。それが私の「愛する者へのコミュニケーションパターン」だったから。そこから抜け出せない呪いのようなものがありました。

 

そうしている間に、「あの先輩は呼び出しを無視する酷い人」とかいう噂でも流れたのでしょうか、それとも私の同学年の人から何か吹き込まれたのでしょうか、ありがたいはずのモテ期は、ありがたみも感じることなく3学期になるころには過ぎ去っていました。

 

そしてまた転校

 

モテ期が終わった理由、その真相は知りませんが、そんなこんなをしている間に、3年になる前に私はまた転勤族の親について引っ越し・転校を強いられます。もちろん片思いの相手にはなにも伝えられませんでした。

 

転校後はどうせすぐ高校に入るんだという気持ちが強く、あまり友達もできないまま帰宅部で受験勉強に励むことになります。

 

野球部には顧問から誘いがありましたが、私の苦手な「不良グループ」がいましたので、興味もわきませんでした。(当然ガリ勉だったこのときもモテるわけがありませんし、以後モテ期みたいなのは来ていません)

 

こんなもったいない感じだったわけですが

 

これが転校しまくりのデブが非デブ、そしておまけにちょっとだけ野球部のエースをやった中学生活のひとつの例です。別に何も悪いことはしていないと思いますが、悲惨とは言わないまでも、もったいないですよね。自分を愛せていないから何があっても拒否!愛など要らぬ!

 

色々と自分を認めてあげるチャンスを逃していますよね。この時に誰かと情緒的交流をできていれば、私の対人スキルは少しは今より高かったでしょう。ちなみにこの後長い時間をかけて私はまたデブになったり、また痩せたりします。(その話は今後するかもしれませんし、しないかもしれません。何かを述べるのに必要になったら話します。)

 

結局言いたいこと

 

この話から私が結局何を言い出すのかというと、「デブは思春期になる前に痩せるのがGOOD」とかそんなんじゃないですよ。そもそもいま、私はデブを悪いことだと思っていませんからね。上で「諸々」と書いたことの中身ですよ。

 

結局「自分を愛すこと」から始まる「私は愛されて良い、愛されることが可能だ」という気持ちが全くなかったことが、私をどうしようもないこじらせ野郎にしたんです。何故か。それは「太っていたから」ではなく、「太っていたときの私を誰も愛していなかったから」です。

 

転校を繰り返して、幼いころからの親友がいない。「デブ→低評価」がほぼ自動的に成立する年齢以降に知り合った友達しかおらず、比較的付き合いの長い知り合いは全員自分をナメているという構図でした。小学校高学年でデブの転校生が愛されるのはかなり難しいです。

 

親は太っている私を罵り、痩せてからもしきりに太っていた私を否定し、痩せた後の私だけを肯定(条件付きの愛ですね)しました。これは私に「愛されてはいけない」という気持ちを植え付けました。

 

これですよ。

 

「太っていること」は、思春期に入って一気に自己肯定感を下げる要因になります。どうしてもいろいろ言われますから。

 

このときに味方がどこにもいないんじゃ、変なものこじらせますよね。自分を愛せないから。これは愛着の問題ですから、痩せたってこじれたままです。学校で愛されなくても、他に居場所があれば大丈夫です。でもなかったんですよ、それが私には。最低でも家庭はそうでなかったら、子供はこじらせないと生きていけなくなってしまいます。

 

このような「デブ思春期」を過ごした人はまず自分を愛する練習をしましょう。でないと、ダイエットすら自分を否定する材料になってしまいます。それじゃ孤独感は増すばかりですよ。

 

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以下、ブコメにて質問をいただいたので引用してお答えします。(必ずするとは限りません)

かこ様(id:kozikokozirou)より

私も思春期頃太り気味で随分親から条件愛を押し付けられました。現在私が思春期の娘を持つようになり「太っている」事が悪いのではなく「太る食生活」に課題があると感じています。ご両親はいかがでしたか?

 

あえて正面から受け取って、私の両親についての質問として答えます。

 

母は豚肉料理を出してそれを食べる私に「共食いやな」と言ったり、「ブタみたいや」「売れへんブロイラー」といった言葉をかける人でした。痩せたらそれが過去形になったくらいです。

父は、「相撲部屋に売ったら・・・」(そろばんをはじくしぐさをする)という感じの人でした。痩せたら「別に相撲が無理ならプロ野球選手で契約金1億でもええぞ」とか言ってました。

 

どういう感想を抱かれるでしょうか。何かに問題があると言う事もなく、私の事を何か考えるわけでもなく、私を茶化して遊んでいたという感じです。

 

まぁこれを紹介しただけではあまり意味がないので申し上げます。

 

お子様が肥満気味なのは食生活に課題がある(あった)のでしょう。思春期に入ろうという子供はもうそれに気づいています。ですが、それでも家庭での今までの食事が当たり前(それしか知らない)なので簡単に変えられないのです。

 

不憫ですが、これからお子様は体型の事で多かれ少なかれ辛い目に遭うと思います。必ず来るそのときに「私はどんなあなたであってもあなたの味方だ」という姿勢を崩さないであげてください。そういう居場所があることで、お菓子の食べすぎとかいう太る食生活、いわゆる「嗜癖」的なものは大人になるにつれて解消されていくと思います。痩せるのは、その安定感(居場所があるという感覚)を得てからでも遅くないですし。

 

わかりきっているであろうこと、生意気にも長々と申し上げました。かこ様のブログは、いつもたのしく読ませていただいております。