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ブロブロスキーのブログ

スキーと釣りが趣味の院卒の30代オッサンのブログ。気まま、手軽、あるがまま

人生の当事者として自分の幸福は自分で決めたい

生き方 心の話

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空が晴れただけで心が晴れるなんて、私は単純だなぁと思った日でした。しばらくどんよりした天気が続いていましたからね。ただでさえ寒い時期は気分が落ち込みやすいのに空が曇ってて寒くて、ってなると結構心に来るんです。

 

この2日ほどちょっと仕事の負荷もあがってましたし、今日の晴れた空は本当に癒しでした。心にも陽が射したというか。そのときに感じたのが「幸福感」なわけです。冬の晴れた朝に深呼吸するのって、私にとっては結構幸せな事なんです。

 

そうそう、深呼吸はいいですよ、人は緊張したり怒ったり憂うつになってる時、呼吸が浅くなっています。これは「脳→体」の働き掛けで体が戦闘態勢になっているんですね。

 

逆の働きかけもできるんですよ。深呼吸をして呼吸を整えるとこれらの感情を落ち着けるができたりするんですよね。体の動作を使って脳に影響が与えられるっていう事も、覚えておくといいですね。脳だって体の一部ですからね。

 

話がそれましたが、他人が感じる幸せにケチつける人っていますよね。まぁ私の親がそうだったからこう言うんですけど。その幸せが「くだらん」とか「小さい」とか「次元が低い」とかって「親にとっては他者である私」は言われまくりました。でもそれってそもそも他人から決められることじゃないんですよね。

 目次

 

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自分で感じよう

 

「幸せ」が、例えば果てなき自己成長の先にあるとか、苦悩の先にあるとか、そんなこと自分以外の誰かに決めてもらう事ではないのです。

 

そこに「ない」とは言っていませんよ。

 

何が幸せかというのは自分で感じるものだと言っているのです。幸せの基準を他者にゆだねたら、まるで他者の人生を生きてるみたいじゃないですか。自分の人生には主体的にありたいものです。

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価値があるのが幸せとは限らない

 

競争に勝ったり業績を積んだりお金をたくさん手にすることが幸せだとかそういうルールも別に決まってないんですよね。

 

私たちは、拒否しようが暴れようが、その人生に価値があるかないかを勝手に他者によって判断される世の中に生きています。でもその、あなたの人生の活動のうち他者から見えている表面の部分だけで判断される価値は、あなたが幸せか否かを判断する基準にはならないですよ。

 

そりゃ現実お金は必要ですけど、お金でどの不幸を回避して、どの幸福を得るかは自分で決めるんですよ。「いくら必要か」はそれによって幅があっていいし、稼ぎ方も自分の幸せに沿わせていい。いくらあるからどれくらい幸せかって決める性質のものじゃありません。いくら稼いだって、それが単なる「我慢の対価」だったら幸せは遠のいていませんか?

 

比較しなくていい

 

自分の基準で誰かより幸せとか不幸とかそういう比較をするのって無意味ですよね。その人にはその人なりの幸せがあるんですから。

 

だから逆だってそうなんですよ。自分の幸福の大きさを、他所から持ってきたモノサシで測るというのはナンセンス。自分が進みたい方向を、他所から持ってきたコンパスで決めるのもまたナンセンスです。

 

コンパスとモノサシは常に自分の中にあるのですよ。これは手放さずに持っておく。他人のものを使わない、借りてこない。アドバイスを受けたり教えを請うたとしても、取り入れるかどうか決めるのは自分です。「自分の人生」を「当事者」として生きましょう。