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ブロブロスキーのブログ

スキーと釣りが趣味の院卒の30代オッサンのブログ。気まま、手軽、あるがまま

興味をひくモノゴトが過剰に信用・支持される傾向について

生き方 ブログ・webサイト

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アクセス数なんて興味ねーよ、と言っている当ブログですが、ブログというのは上手くやれば1日あたりに数百人、数千人、数万人に一方的にモノ言えるメディアですよね。

 

その影響力の恐ろしさについて、少し思うことを書きます。乱文ですよ、話が飛びまくります。

 

私は研究をやっていたころ、国際学会でも国内の招待講演などでも何度か発表をしていますが、(学会によっても異なりますが)学会が設定した招待講演でも聴衆はせいぜい数百人です。国内の学会で新しい研究成果を発表したって、聴きに来る人はふつう数十人、よくて2、300人ですよ。

 

これがどんなに恐ろしいものか、経験者なら分かるかと思います。その道の専門家がずらりと並んで、猛烈に質問してきます。その対応のための準備の時間も、半端ではありません。まぁこれはその恐ろしさの一部として、「相手も専門家である」という前提があるわけですが。

 

ところで、例えば私の書いたスキーに関する記事郡。検定に受かることが科学的に裏付けられた「画期的なもの」ではありませんが、色々な流入経路を経て今、毎日数百人が読んでいます。

 

発表するにあたって、これについては、私自身書くときに気を付けた以外には、反論がなされた時の理論武装もできていません。(戦々恐々です)

 

それを私は今、ただのコンテンツの一部として、運営している。これって結構とんでもないことなんですよね。チャレンジングなことです。

 

学会みたいに読んだ人がみんなそれを咀嚼して質問してきて研究に取り入れる可能性があるというわけではないですが、それ以上の「人数」に影響を与えているんです。人数でみれば。その影響が大きい小さいにかかわらず、です。

 目次

 

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毎日数百PVが大したことない?とんでもない!

 

もちろん、学会発表して数百人が聴きに来ることと、ブログの数百PVは同列には語れません。刺激を求めて単に文章を食っているだけの人など学会にはほとんどいませんからね。

 

それでも、どれだけ世の中に影響があるかという観点で言えば、たとえば普通の大学4年生とか修士課程の(たとえ東大生でも、非凡な人間でなければそうですよ)の学生が研究室の方針で先生が推敲して発表させられる学会くらいのものに比べたら、論理が崩れていてもブログというのは影響力が強いんではないかと思う時があります。

 

悪い言葉で言えば、それが発表に値しないしょうもない内容でもパクリネタでも、人を動かす力の関係で言えば、ブログの方に軍配が上がるかもしれない。特に検索流入では、基本的には「それに関して情報が欲しくて辿りついた人」がほとんどですから。数百人が読むというのは大したことなんですよね。本当に。

 

それが影響力を持ちすぎたら、という事を想像してしまいます。いや、今ブログの影響力は落ちてる上がってるのかも知りませんけど。

 

当ブログの中でアクセスが比較的多くて、いくつか言及をもらったこの記事なんて、きわめて少数ではありますが、もはや他人の行動に影響を与えています。

brobroski.hatenablog.com

こんなのが、あのド緊張で死にそうだった発表(個人的感想)より内容を読んだ人が多いなんて、ブログの恐ろしさを本当に痛感します。それら発表よりも有意義な事をこの記事に私は書いた覚えがありません。

 

で、アクセスを集めるのを目的でやってる人や企業なんて、これの比じゃない異次元のアクセスを集めてるわけですからね。まぁ、詳しい人なら検索エンジンの攻略は学会発表よりチョロイのかもしれませんが・・・そういうのできる人はちょっと自分の影響力に責任を持ってほしいと思う時はあるっちゃありますよね。

 

 

その内容が「自分の生き様」となれば尚更すごいこと

 

ブログやwebサイトを「ライフログ」的に使用している人もいるかと思います。その内容で、とんでもない人数に読まれているブログも、情報に疎い私ですらいくつか知っています。

 

その道の権威である学者でも、数千人数万人に向かって自分語りをする機会なんて、有名な賞を取ってテレビ出演したときくらいしかそうそうありませんよ。ライフログ系のブロガーは余裕で毎日それをやっています。

 

専門でない多数の人間を相手にするからこそ、専門家でなければ持ちえない影響力を簡単に凌駕する場面があるんですよ。これってとんでもないですよね。悪いんじゃないですよ、すごいです。

 

だからって、その人は専門家より上だとか下だとかいうのではありません、でも、そうやって得た「信用」は、現代の世の中では武器になるし金になるし凶器にもなりえるんです。

 

 

「信用」の「乱用」

 

子供の将来の夢に「youtuer」がランクインしたなんていう話をどっかでちらっと見かけました。これは「絶大な信用」を、そのyoutuberたちが持っているから起こることなんですよね。過激さや単純さを利用してね。子供たちから信用を勝ち取った。

 

他にはたとえば「移住」したり、「モノを捨てたり」で信用を集めている人もたくさんいますよね。それはその人の生き方であり、否定されるものではないと思います。時に私は羨ましくもなるし、そういう生活に憧れることだってあります。

 

ですが、それらが真理を、真実を伝えているかと言うと疑問は残ります。全面的に彼らを信用して、全員が田舎でブログ書いて暮らせるかと言うとNoですし、たとえみんなが才能あふれる「時代の寵児」レベルのブロガーであっても、全員が消費を放棄してその暮らしはできません。それじゃコミュニティが破滅します。

 

コミュニティのために人間が生きるのではないので、そういう人は当然存在していいのですが、多様性の無い社会ですね、全員が「個性を前面に出したブロガー」だと。youtuberやブロガーを、それたらしめるインフラに人材は当然必要ですよね。

 

話が変わって、学者に対してそれって何か役に立つの?生活は変わるの?と責め立てる人を時折見かけますが、そりゃあ、全員の役には立たないし、時には誰の役にも立たないし、「全員その方向に舵を切る」ようなものじゃないのはほとんどすべての言論においてそうなわけです。それでいいんです。

 

この記事とは別に、基礎科学が役に立つか立たないかと言う論争自体が無意味だというのは、機会があれば学問文化という観点からそのうち語りましょう。

 

まぁこれはおいといて、とにかく今私は、大衆(私を含む)は「どういう立場の、誰が、それを言ったのか」で言葉の受け取り方が変わり過ぎるように感じています。特に、手間なく興味ばっかり満たされるものが異様に信用される。信用が乱用されているなぁと。

 

トキを保護している間に、絶滅するヘビがいるかもしれませんよね。それを決定するのがカワイイとかの基準であっていいのでしょうか。こういうことが人間と人間の間に起きていると思っています。

 

 

何が言いたいのか

 

これからはどんどん「信用」がモノを言う社会になるように感じます。そういう言論も見かけますし、そういう言論が支持される傾向にある(気がする)。

 

でもですよ、「みんな信じるから」、単にそれが「耳触りが良いから」といって自分も信じるというのはアカンと思うのですよ。個人が話術によって絶大な支持や信用を得る機会を、ネットは与えてくれます。それで食っていく人がいることは悪いことではありません。

 

ですが、そうやって築き上げた「信用」の影響力は、発信する人や受け取った人の個人的なバイアスによって時に簡単に真実を曲げ得る、という事を肝に銘じておかなければなりません。

 

「論理」と言う作法を、人類が捨て去る、忘れ去るという事が起こらないように願っています。結局これだけ言いたかったのです。興味をひかれることばかりに偏って、論理を忘れてはいないかと。

 

学問の世界に居ても感じないでしょうが、そして狭い会社に居ても感じないでしょうが、ポンと視野を広げて、最近の世界情勢と照らし合わせてみてください、ヤバイですよ。論理がぶっ飛んでますよね。それが支持されてますよね。

 

それでもって翻って、もう一度今いる狭い社会を見てみてください。何故かおエラい人のライフログばかりが支持されていませんか?そうなっていたとして、その人はすごいですが、全員そうやって生きていけますかね?そればっかり押し付けられたんじゃたまったもんじゃないと思いません?

 

以上。取り乱しました。